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第4回 難治性の極度の痛み〜帯状疱疹後の三叉神経痛と激しい頭痛〜

「ハント症候群」から始まった

病に苦しむ人にとって、「痛み」ほど辛いものはない。とりわけ難治性の痛みの場合、持続する痛みの辛さから「死にたい」と思い詰める人も少なくない。
大分市の会社役員、布川宏明さん(仮名、43歳)もそのひとりで、顔面と頭の激痛に約10年間も苦しみ続け、「何度も死のうと思った」(布川さん)という。始まりは、平成11年3月、「ハント症候群(ラムゼイ・ハント症候群、耳性帯状疱疹)」による顔面神経麻痺だった。
ハント症候群とは、耳の中に帯状疱疹ができ、顔面神経麻痺などを伴う病。当時布川さんは、毎月100時間以上の残業、睡眠は2、3時間という激務が続いていた。極度の過労とストレスが原因という。
大分市内の総合病院耳鼻科に2週間入院し、ステロイド治療をしたところ、顔面麻痺は改善したが、その後、三叉神経痛が残り、左顔面の激痛とそれに伴う頭痛に常に悩まされるようになった。
帯状疱疹後に神経痛が残るケースは多く、難治性の痛みとして知られ、一般的に薬剤が効かないと言われている。布川さんの場合、それにも増して帯状疱疹が出た場所が三叉神経領域だったため、神経痛の痛みは耐え難いほどの激しいものとなった。

痛みから「うつ病」に

「手や足の神経痛なら我慢できるかもしれませんが、顔面や頭の三叉神経痛は本当に辛いものです。常に痛みがあるのに、左顔面に剣山で思いっきり突き刺すような激痛、締め付けられるような頭痛は日に何十回もあり、数十秒間も持続します。本当に想像を絶するような耐えられない痛みです。あまりの激痛で、生きることが辛く、目の前が真っ暗。しかも、その激痛が何をしても改善されないのです」
終始落ち着いた口調で話す布川さんが、痛みの程度を説明する時だけ語気を強めた。よほど激しい痛みだったのだろう。布川さんは、その三叉神経痛を治すため、ありとあらゆる治療を試み、約10年もの月日を費やしたのだ。
「ペインクリニックで星状神経節ブロック注射を平均週3回、約8年間で1000回以上も打ちました。しかしブロック注射では、一時的に感覚を麻酔で麻痺されるだけですから、局所麻酔が覚める2、3時間後には再び激しい痛みが出現します。ロキソニンやテグレトールなどの鎮痛剤、安定剤も効果がありませんでした。針治療や漢方薬も試しましたが全く症状が改善されませんでした。そのうちめまいや吐き気も出てきて『メニエール症候群』と診断され、神経痛と頭痛はさらに増し、夜眠れなくなりました。良いと言われる病院に行き、民間の電気治療や気功も試しました。すがる思いで気とう師のお祓いも受けましたが、どれも効果がなく、ただただ痛みと闘う絶望の日々でした」
平成19年8月、ある大学病院医学部神経内科に入院し、全身の検査を行ったものの、これといった原因は特定できず、鎮痛剤も効かないことから医師からは「これ以上打つ手がない」と言われた。
この時、「痛みによるうつ病にもかかっている」と診断され、同病院の精神科を受診。抗うつ剤、鎮痛剤など1回20錠もの薬を服用するも症状は改善されず、退院後も通院加療を続けたが、痛みもうつ病も一向に良くならなかった。

「無けいれん性電撃療法」に疑問

平成20年2月には、同病院の精神科に入院。1日60錠もの薬(抗うつ剤、鎮痛剤、睡眠薬、けいれん止め等)を飲みながら、痛みに効くと言われる「無けいれん性電撃療法」を受けた。
「私の場合、『うつ病』と言っても『痛みによるうつ病』です。痛みさえなくなればうつ病は改善されるのです。それなのに、社会から完全に遮断された精神科の病棟に入院し、毎日60錠もの薬を看護師の目の前で飲まなければならない。自殺未遂後の意識朦朧とした別の患者と一緒にストレッチャーに乗せられて手術室へ行き、全身麻酔で意識を失い電気ショックを受ける。電撃療法を受けた後は、痛みは相変わらずあるのに、何もやる気がおきなく廃人のようになってしまうのです。劣悪な環境での、屈辱的で効果のない治療によって、どんどん精神的に追い込まれ、10回の治療予定を2回で止めてもらいました」
同年3月に精神科を退院。そして同年5月、医師の紹介で別の病院に入院し、痛みに効果があると言われる「絶食療法」を10日間試したが、症状は改善されなかった。
「これまでの治療をすべて『治療の効果がなかった』と一言で表していますが、厳密に言えば、いずれの治療も治療により症状は悪化してきたと言えます。例えば、薬物治療によって『10』の痛みが『20』に増大することがありましたし、手の震えや幻覚、幻聴という副作用が出て、さらに体調が悪くなり、うつ病が悪化していきました」
「どうして治らないんですか」と、担当医に何度も詰め寄った。布川さんの妻が担当医に電話をし、治療方法に抗議したことも1度や2度ではないという。

ごしんじょう療法で激痛が消えた

布川さんの痛みとの闘いは、布川さん本人だけじゃなく、夫婦にとって辛く長いものとなっていた。そんな中、布川さんの妻がたまたまインターネットで「ごしんじょう療法」を見つけた。何かを投与するというこれまでの治療とは違い、「邪気を取り除く」という全く新しい理論に最後の望みをかけて、布川さんは貴峰道に治療の予約をし、夫婦で上京した。
平成20年6月10日、1回目の治療後、「少し楽になった感じ」はあったが、痛みの症状には大きな変化はなかった。
「この日は貴田晞照先生が大峰山での行で不在だったので、お弟子さんが治療してくれました。後で聞いた話ですが、私の体内に溜まった邪気の量があまりにすごかったので、お弟子さんが軽くしか治療しなかったそうです」
だが翌11日、2日目の治療時に大きな変化が起こった。
「大峰山から帰られた貴田先生から顔と頭と耳にごしんじょうをあてられた時、ビリビリとこれまで体験したことのない強烈な痛みが走り、手から足から邪気が出ていくことを体感しました。今まで顔の1カ所に集中していた強い痛みが何10カ所にも分散され、10年ぶりに顔の痛みがスーッと楽になったのです。目がスッキリし、霧が晴れた感覚でした。治療後に妻が、私の表情が明るくなったと非常に驚いていました。剣山で突き刺すような痛みがこれほど劇的にとれたことは初めてで奇跡的なことです。本当に、自分でも信じられない気持ちでした」
布川さんは、上京中の5日間のごしんじょう治療で、約10年間も苦しみ続けた激痛から完全に解放されたという。

自分自身で健康管理

「普段は飛行機の高度が上昇するほどに神経痛と頭痛が増すのですが、貴峰道での治療後は、帰りの飛行機の中でも楽でした」と布川さん。大分に戻ると、周期的に痛みが襲ってきたが、痛みの程度も軽く、以前の周期よりずっと長いものだったので、薬もほとんど飲まなくなったという。
そこでもう一度、貴峰道で治療しようと同年7月8日に再び上京。5日間治療を受け、ごしんじょうを譲ってもらい、自分自身でも頭や顔を治療するようになった。同年8月20日にも上京し、4日間治療を受けた。計3回の上京で、日常的にあった痛みが全くなくなったという。
布川さんは、ごしんじょう療法を自分自身にし、また妻にしてもらいながら、痛みを抑え、仕事もこなしてきた。ところが、「管理職特有のストレスもあって、自分では抜けないほど邪気が溜まり出した」(布川さん)という平成20年暮れごろから、神経痛と頭痛が再発。そのため平成21年8月12日、布川さんは久しぶりに上京し、貴峰道の治療を受けた。
「1年ぶりの貴峰道での治療ですが、全身をやってもらえるので、邪気が抜ける感覚がビリビリ分かりました。これからも体調を維持するため、自分自身でごしんじょう療法をしながら、定期的に上京して全身治療を受けたいですね」と布川さんは話す。

「同じ痛みで苦しむ人の助けになりたい」

「昨年、かかりつけの大学病院に外来で行きましたが、私が『ごしんじょう療法という治療で痛みがとれた』と薬の処方が必要ないことを言っても、担当医が全く信じてくれませんでした。私の痛みを治せなかった医者が、純金の棒でさすり押すという単純な治療法の効果を認めないのも分かりますが、医者は私に対して、『あなたのうつ病は治っていません。暗示にかかって痛みがとれたような錯覚を起こしているだけで、痛みも絶対に治っていません。九州で一番痛みの治療で実績のある医者を紹介します』と言い張るのです。その医者の言葉には愕然としました」
暗示で痛みがとれるのなら、薬でも針治療でも気功でもとれているはずだ。すがる思いで足を運んだ祈祷師のお祓いでもしかりである。どんなことをしてもとれない痛みだから、布川さんは10年間という長い時間と膨大な治療費を費やしてきたのである。
「ごしんじょう療法の唯一の欠点は、人から信じてもらえないことだと貴田先生がおっしゃっていますが、まさにその通りです。10年間、全身麻酔の電気ショックまでして苦しみ続けた極度の痛みが、ごしんじょう療法によって完全に消失したという私の真実の体験談を多くの人に知ってほしいと強く願います。それが三叉神経痛など難治性の痛みに苦しんでいる人の助けになれば、私が痛みと闘った10年間は決して無駄にならないと思うからです」
「痛みによるうつ病」だったことが嘘のように、明るく軽やかな表情で布川さんが語った。

平成21年8月26日
久保田正子