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第23回 リウマチ〜劇的に改善し、療法師として豪州でGOSHINJO実践〜

ごしんじょう療法師として、オーストラリアで家族や友人知人に施術し、喜ばれている日本人がいる。療法師になるきっかけは、長年痛みで苦しんだ自身のリウマチ治療だったが、わずか1回のごしんじょう治療で痛みが消失。その治療効果に驚愕し、年1度の帰国でごしんじょう療法の勉強を重ねているという。根本治療法がないとされるリウマチがごしんじょう療法でどのように改善されたのか、またオーストラリアでGOSHINJOがどのように喜ばれているのか、話をきいた。

関節の激痛「毛布の重みで手首が痛い」

A.S.グロッソさん(50歳)がリウマチを発病したのは平成17年、オーストラリア人男性と結婚し、豪メルボルンに移住して半年後のことだった。
ある日突然、右手首が腫れ、手首や指が痛い。すぐに病院へ予約を入れたが、診察を受けることができたのは3カ月後だった。診察を待つ間に右手薬指の腱が切れてしまったという。
「オーストラリアの医療は、病院で診察を受けるのも時間がかかるし、診察で医師の説明もほとんどないんですね。病院ではリウマチと診断されたのですが、説明があまりなかったので納得できませんでした。また治療として勧められたステロイドや抗リウマチ薬も、日本の2倍3倍の服用量だったので副作用への恐怖心から薬を始める決心がつきませんでした。この時は痛みもそれほどひどくなく、痛みがあったりなかったりの状態だったので、薬物治療をせず、しばらく様子をみることにしたんです」
ところが半年が過ぎた時、手の関節の激痛に襲われた。
今度の痛みは強烈で、コーヒーカップも持てない。毛布の重みが痛くて眠れない。寝返りもできない。あたりまえの日常生活も支障をきたすようになり、病院へ駆け込んだという。
数日後に日本への帰国を控えていたため、応急処置としてストロイド注射を打った。右手薬指の腱の断裂で指を伸ばすことはできないが、関節の痛みを感じなくなったため、重いスーツケースを持つこともできたという。グロッソさんはリウマチのことをすっかり忘れて日本で過ごし、約1カ月後にオーストラリアの家に帰宅。だがその後、しばらくしてステロイドが切れたのか、以前に増して強烈な痛みが襲ってきた。
「ストロイドが効いたということは、やはりリウマチなんだから、薬物療法をしなければいけません」
医師に厳しい口調で言われ、グロッソさんは勧められた抗リウマチ薬のプラケニル(※マラリア特効薬。免疫機能の過剰な働きを抑える作用から関節リウマチ治療薬としても使用)治療を始めることになった。

薬で痛みとれず、指の腱損傷で再生手術も

「プラケニルは副作用で網膜症になりやすいため、抗リウマチ薬として日本で認可されていない薬だったのですが、強い痛みを我慢できず、眼科で経過観察をしながら1年間ほど飲みました。それほどリスクのある薬を飲んでも、関節の痛みが全くなくなることはないんですね。この程度の効果しかないのに、日本で認可されてない薬を飲み続けていいのだろうか、と悩みながら服用していました」
グロッソさんは続けている薬物治療に対する不安が募り、かかっていたクリニックにリウマチ専門医の紹介を依頼した。ところが、予約をしてから待たされている間に、右手の2本の指の腱も断裂。右手の腱は計3本が切れてしまった。リウマチ専門医にもそのことを伝えてもらい、予約してから3カ月後、やっとのことで専門医の診察を受けることに。診察後、すぐに腱の再生手術を受けたという。
プラニケルの服用量は増え、次第に効かなくなり、メトトレキサート(※抗がん剤、抗リウマチ薬)に切り替えて薬物治療を続けた。しかし、効果を感じられないのに強い副作用への心配が募り、今度は代替医療を求めた。アメリカのサプリメントを見つけ、薬物治療からサプリメント療法へ切り替えたという。
「結局、1年間はサプリメントを続けましたが、やはり調子はあまり良くありませんでした。サプリメントの場合、さほど副作用の心配はありませんが、毎日大量の錠剤を飲む必要があります。月4、5万円という費用がかかり、続けるうちに、精神的、経済的負担が大きくなりました」

平成20年、グロッソさんはセカンドオピニオンを求め、別の病院で検査をした。医師から「関節リウマチ以外に別の膠原病もあります。将来、車椅子の生活は免れません」と宣告され、目の前が真っ暗になったという。
「医師から勧められた治療は、3カ月ごとに薬物を変えて大量に服用し、最終的には注射による治療を生涯続けるというものでした。当時は毎日とにかく疲れやすく、常に体が冷えて寒さを感じ、同じ姿勢、動作を30分以上続けられません。集中力も持続しませんでした。その日常生活が日に日に悪化することを想像すると、医師の治療に従うほかないのかもしれないと思い、気持ちが沈みました」

ネットでごしんじょう療法を知り、夫を説得

「何かほかに治療法はないだろうか」――
グロッソさんは藁をもすがる思いでインターネット検索をし、「ごしんじょう療法」のことを知る。すぐにアマゾンで貴田晞照師の著書「超医療 御申じょう」を取り寄せ、一気に読んだという。
「気の世界は科学では説明できないと思われがちですが、貴田先生の理論は極めて科学的だと思いました。書いてあることが全部信じられ、背筋がゾクゾクするほど感銘を受けました」とグロッソさんはいう。
「日本に行って、ごしんじょう療法を受けたい」
グロッソさんがオーストラリア人の夫に打ち明けたが、ごしんじょう療法のことを話せば話すほど、夫が「本当に大丈夫か? 悪徳療法で騙されるんじゃないか?」と真剣に取り合ってくれなかった。
夫をなんとか説得しようと、グロッソさんは貴峰道に問い合わせ、症例DVDを取り寄せ、夫に見せた。だがその作戦も逆効果で、ごしんじょう療法の症例映像が示す治療効果のあまりの高さに、夫の疑念はさらに高まってしまったという。
「どうしてもごしんじょう治療を受けたい」
グロッソさんはその気持ちを抑えられず、常に本をそばに置いて、繰り返し読み続けた。
「自分でもごしんじょう療法をできないだろうか」
そう考え、本に書いてある呼吸法を何カ月も毎日実践した。すると、「これかな?」と思える気の感覚を少しだけ分かるようになった。それでも「これが気ですか? 邪気ですか?」などと誰にも確認できないため、不確かな感覚のまま、毎日毎日、本を見ながら呼吸法を実践していたという。
その姿に夫は根負けし、ついに貴峰道での治療を認めてくれた。オーストラリアを出発する際、夫は言った。
「絶対に騙されないように。治療を体験した後、自分で冷静に良く考えるんだよ。くれぐれも慎重に」

痛み消え、体が軽く「20代に戻ったよう」

そうして平成20年10月3日、グロッソさんは帰国し、貴峰道で初めてのごしんじょう療法を体験する。グロッソさんはその時の感動を次のように振り返る。
「どんな薬でも痛みが完全に消失することはありませんでしたが、ごしんじょう療法を受けたら、手首や膝の痛みが目の前ですっきりと消えたのです。体がものすごく軽くなりました。帰国した時からサプリメントを飲んでいなかったので、痛みの消失は完全にごしんじょう療法の効果ですし、体が軽く楽になるというのは、薬やサプリメントでは絶対得られない効果です。
オーストラリアで呼吸法をやっている時から感じ始めていた、おぼろげな気の感覚も、治療を受けると、より確かに強く実感でき、手の先がピリピリするほど気を感じました。
10月7日の2度目の治療の時にごしんじょうを譲り受け、それから約2週間、毎日のようにごしんじょう療法の勉強に貴峰道に通いました。貴峰道にただいるだけで、自分の中の気の流れを感じられ、ごしんじょうを持っているとさらに強く感じられました。心地よい暖かく柔らかな空気は貴田先生や皆さまが作り出される愛に満ちた気の空間だからなのでしょう。何日も通わせていただき、毎日が貴重で幸せな時間でした」

勉強中、ある経験をしたことも、グロッソさんにとって大きな意味があったという。それはごしんじょう療法の勉強を始めて1週間後、突如、リウマチの手首の激痛が再発したのだ。
「私のリウマチは、ごしんじょう療法でも治らないのではないか。希望を持って来日し、この治療にかけていたのに…」
グロッソさんは絶望感で涙が止まらなかったという。
貴田師に手首の痛みのことを話すと、すぐに施術をしてくれた。貴田師や貴峰道の弟子から治療を受けるうち、痛みが嘘のように目の前でスーッとなくなった。ふと気づくと、さっきまで流していた絶望の涙が感謝と感激の涙に変わっていたという。
「自分自身をいたわって治療することが大切なのに、つい治療の勉強に夢中になって、手首を使い過ぎていたんですね。あの時、貴田先生が言われたように、自分自身を治療することも大事で、それも治療の勉強だということに気づいたんです。貴田先生や皆さまの迅速な対応で、みるみるうちに痛みが取れた時の感動と感謝の気持ちは決して忘れることができません。ごしんじょう療法が、病状だけに焦点を当てた西洋医学と異なり、心にも安らぎを与えてくれる療法だと確信した瞬間でもありました。それ以来、毎日必ず自分自身をしっかりと治療するようになり、もうあのような痛みが再発することはなくなりました」
毎日自身の治療を続けるうちに、さらに身体が軽くなっていった。
以前のグロッソさんは、夏でも手足が冷たく、痛みと疲労で30分以上同じ姿勢でいられなかった。また年じゅう体を引きずって歩くような状態で、常に体が重く凝っていた。昼寝をしないと夕方から頭痛に襲われ、何もできない状態になったという。それが連日のごしんじょう治療で、冷えを全く感じなくなり、全身が足の先まで温かくなった。20年以上飲んでいた便秘薬も不必要になり、全身が爽快になった。「一日じゅう立っていられるほど元気になり、20代のころに戻ったような身体感覚になりました」(グロッソさん)。心の安らぎをも取り戻したという。

オーストラリアでGOSHINJOファン増加

グロッソさんは晴れやかな心身でオーストラリアに戻った。グロッソさんの快復ぶりと若々しさに夫は目を疑い、半信半疑ながら誰よりも喜んでくれたという。
その夜、肩が痛いという夫をグロッソさんはわずか10分程度ごしんじょう療法をすると、翌日には夫の肩の痛みは全くなくなっていた。かつて、ごしんじょう療法を完全に疑っていた夫は、グロッソさんの帰宅2日後には、すっかりGOSHINJOのファンになったそうだ。
「夫は会う人みんなにGOSHINJOの話をするんですよ」とグロッソさん。夫の紹介で、痛みがある人などにグロッソさんがごしんじょう療法をする例は、すでに50人を超えているという。
いくつかの施術例を挙げてもらった。
「22歳のオーストラリア人女性は、肩こりが辛いというので15分ほど治療すると、治療中から『リラックスして気持ちがいい』と言い、治療後は『楽になった』と喜んでいました。頭に邪気が溜まっていたので頭部の治療もしたのですが、次に会った時に『生理前にいつも激しい頭痛で辛い思いをしていたのに、GOSHINJOをしてからピタリと止まったのよ』とうれしそうに話してくれました」
そのほか、22歳のエジプト人男性は、「左手の薬指と小指に常にしびれがあり、ウエイトトレーニングをするとき電気ショックが肘から指に走り痛い」というので、グロッソさんが20分ほど腕に施術したところ、その場で感覚が戻り、電気ショックを感じることも無くなった。良好な状態が現在も続いているという。
また、54歳のエジプト人女性は、何年も足指の付け根全体に痛みがあり、ステロイド注射を2回したが効果がなく、毎日痛み止めを大量に飲んでいたが、20分ほどの施術で、その場で痛みが楽になった。「通って治したい」と話していたが、数週間経っても痛みが戻らず、良好な状態という。
56歳モーリシャス人男性は、椎間板ヘルニアで腰の痛みに何年も悩まされていたが、施術を始めてまもなく腰の辺りでポキッっと音がし、すっきりしたようで、「今の音、聞こえた? これまでカイロプラクティックやフィジオセラピーに何度も通ったけど、なんの変化も無かったのに」と驚嘆。痛みも取れ、喜んでいたという。
「50代のオーストラリア人男性は、咳をする時に口ではなく肩を押さえるほど肩の痛みがあるということでしたが、15分ほどの治療で痛みが取れ、なんともうれしそうな笑顔になりました。こんな笑顔を見せてもらえるのが何よりの喜びです」と、グロッソさんは温かい笑みを浮かべる。

GOSHINJO英文サイト、まもなくアップへ

「いろんな病で辛い思いをしていらっしゃる方々、赤ちゃんやお子さんなどがよくなって帰っていくときの笑顔は、そばで見ていても嬉しいものです。自分の体調管理にも自信が持て、周りの人たちの痛みをやわらげることで力になれるごしんじょうは正にこれから生きていく灯りとなることと思います。ごしんじょう療法に出合えたことは無上の幸せであり、ごしんじょうを創り出された貴田先生には感謝と敬意の気持ちでいっぱいです」
ごしんじょう療法との出合いによって、グロッソさんのリウマチの激痛に苦しんだ生活は一変した。今では年に一度は来日し、貴峰道でごしんじょう療法の勉強をしながらオーストラリアでの実践を続け、多くの人から喜ばれ、感謝されている。
「ごしんじょう療法で多くの人が本来の健康を取り戻し、ずっと健全で平和な世の中であってほしい」。グロッソさんはそんな思いで海外での施術を重ねるうちに、かつて繰り返し読んだ「超医療 御申じょう」の中の松本元博士の論文にある一文を痛感するようになったという。
「ごしんじょう療法が開発されたことは、日本人として極めて誇りに思うと共に、科学的解明によってこの手法をさらに高め、世界人類の福祉に役立てるようにすることが、我が国の全人類に対する責務であろう」(松本元博士)
「GOSHINJOとその理論が知れ渡れば、世界中の多くの人が病の苦しみから救われるにちがいない」
グロッソさんはその一助になりたいとして、東日本大震災を機に、この療法の理論を英訳する作業に着手した。GOSHINJOの価値を理解するオーストラリア人の夫がコツコツと手伝ってくれているという。貴峰道サイトの英訳版として、グロッソさん英訳のGOSHINJOサイトがまもなく完成する予定だ。

平成23年11月1日
久保田正子