第22回 小腸がん〜手術とごしんじょう療法で克服〜
小腸がんは世界的にも稀な病気で、患者数は日本で1万人に1人いるかいないか、アメリカでも1年間に10万人に2人未満の発症数という。小腸は直腸や大腸と違って、細く長く内部で重なり合っているため、陰影異常の発見がされにくいことから、結果的に手遅れになることが多いという点も患者数の少なさの要因とされている。幸運にも転移のない状態で小腸がんが発見され、外科手術とごしんじょう療法で克服した例を紹介する。
腹部に大量の邪気
東京都で音楽制作をする田中健司さん(仮名、53歳)は、約10年前に貴峰道でごしんじょう療法を体験したことがあった。体が軽く楽になることを実感したが、当時は健康面で全く問題がなく、仕事も多忙だったことから、定期的な治療を受ける機会がないまま月日が経過していた。
ところが平成22年夏ごろ、体の異変が生じた。
食欲が減退し、体重も減り続け、極度の貧血でめまいや立ちくらみを起こし、歩いていても体がフラフラする。そこで、平成22年9月1日、久々に貴峰道で治療を受けることにしたという。
「貴田先生が『腹部に大量の邪気がある』と言いながら、お腹のあたりをよく治療してくださいました。治療直後は体がすごく楽になり、精神的にもさっぱりしたので、体のために続けようと思い、月に1度のペースでごしんじょう療法を受けることを決めました」
翌月の10月、腸から初めて出血があり、田中さんは貴田晞照師の勧めもあって、病院で内視鏡検査をした。ところが、消化器系の異常は発見されなかった。田中さんの貧血などの症状から、医者は次に血液のがんを疑ったが、血液の異常もない。結局、「所見なし」の診断となった。
体調は一向にすぐれない状態は続き、体重減少は止まらない。異常はないとのことで医者にかかることもできず、田中さんは月に一度のごしんじょう療法を続けるしかなかったという。
天河神社を参拝して健康祈願
今年2月、田中さんは家族で奈良県吉野の天河大辨財天社(天河神社)を参拝することになった。立っているだけで体がフラフラするという状態だったが、意を決して奈良へ向かったという。
ところで天河神社とはどのような神社なのか。神社の解説をしながら、ごしんじょう製作の過程を説明すると――。
ごしんじょうは純金製だが、単なる純金製の棒ではない。
純金の棒が完成すると、貴田師は天河神社へ持参する。ご開帳された御神殿の御神体の前に純金製の棒が安置され、祓い清められ、入魂の儀の祝詞奏上を受ける。
天河神社は、弁財天を祀る芸能の神様として知られ、芸能関係者の参拝が多い。この神社は近頃ブームのパワースポットとしても人気が高まっているが、エネルギースポットとして注目されるのは、修験道の聖地、大峯山のお膝元にあり、修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が大峯山開山に先立って修行した古社で、修験道の霊場だからである。
天河神社で祓い清め入魂された純金棒を貴田師は大峯修験道の根本道場である龍泉寺に持参し、本堂で護摩を焚いていただく。さらに貴田師が純金棒とともに龍泉寺境内の龍王の滝に打たれ、大峯山から正気をいただきながら万人の病が治るよう祈り、純金の棒に気を込める。
最終的に、貴峰道に持ち帰った純金の棒に貴田師が「御申A」の印を打ち込み、「ごしんじょう」が完成するのである。
貴田師はごしんじょうの製作過程を患者らに包み隠さず伝えているため、田中さんも当然知っていた。だが田中さんとって、天河神社はごしんじょうに縁のある神社というだけでなく、仕事柄、芸能の神様としてよく聞く存在だったという。
田中さんが振り返る。
「当時、私の体調は悪くなるばかりで仕事もできない状態でした。貴峰道の治療を受ける度に貴田先生から『お腹の邪気がすごい』と指摘されていましたが、検査では異常がないと診断され、病院では何の治療もできないわけです。ごしんじょう療法をすれば体は楽になるのですが、私自身が気の流れが分からなかったので腹部の邪気を実感できず、ごしんじょう療法は月に1度の治療でいいと判断していました。
そんな時、貴田先生の紹介により、家族で天河神社へお参りに行くことになりました。かなり体に無理をして、なんとか奈良県吉野までたどり着きました。しかし不思議なことに、天河神社の清浄な空気に触れた途端に体が軽くなり、ごしんじょう療法を受けた後のような爽快感があったんです。あの爽やかさを忘れることができません」
田中さんは仕事にもごしんじょう療法にも通じる天河神社へ出向き、今後も健康で良い仕事が続けられるよう祈願したのだという。
腸重積の緊急手術から、がん摘出へ
3月11日の東日本大震災を機に、田中さんは静養をとるため、思い切って地方に移動した。そこで田中さんの体調悪化がすすみ、全く食事を受け付けなくなった。工夫をしても飲食物が一切口から入らない。胃腸が腫れあがっているのか、お腹がパンパンだった。あちこちの病院へ行ったが、東京で受診した病院と同様に、いずれも「異常なし」と言われ、栄養剤としての点滴処置を受けるのみ。約10日間は点滴のみでやっと生きている状態だった。
ところが3月22日、3件目に入った病院でCT検査をすると、腸重積により腸閉塞を起こしていることが判明する。
腸が腸に入り込んでしまう腸重積は乳幼児がかかる疾患で、稀に大人がかかる場合は、腫瘍やポリープなど何らかの異物ができているのだという。「腸が腫瘍などで深刻な事態になっている」と医者に告げられ、その日の午後、急きょ、全身麻酔で緊急手術をすることになった。
4時間以上におよぶ内視鏡手術の後、医者が「やっぱりありましたよ」と小腸がんだったことを告げた。腫瘍はゴルフボール大の3〜4センチ。小さくはなかったが、周囲への転移が全くなかったという医者の言葉に、田中さんは「救われた」と天を仰いで感謝したという。
「発見されにくい小腸がんは、周囲の臓器に転移して手遅れになってから見つかることが多いそうなので、『小腸だけにできたがんを初めて見た』とベテランの医者が驚いていました。腸閉塞になって小腸がんだけが発見されたことは奇跡的なことですから、家族は皆、天河神社と大峯山を参拝したから助けられたのだろうと素直に思っています」
手足から出る邪気実感し、体調回復
入院中は、貴田師から伝授された自分の手で行うごしんじょう療法を実践した。術後の経過はきわめて良好で、2週間で退院し、帰京。4月20日から貴峰道の治療を週に1度に増やしたという。
「5月にはごしんじょうを譲っていただき、毎日必ず治療するようになりましした。すると5月のある時、貴峰道で治療を受けていると、手足がビリビリして邪気が抜けていく感覚を初めて体験したんです。それ以降は自分自身で治療しても、手足からビリビリと邪気が出るのが分かるようになりました。ただ自分でやるよりも貴峰道でやっていただいくと、邪気の抜け方が違いますね」
邪気が出る感覚とは、具体的にどのようなものなのだろうか。
「お腹をやってもらっている時、手足から邪気が『線』でなく『面』で出ていく感じがあります。頭や首の付け根をやっていただくと、焼け火箸を当てられたように、一瞬にして電気が流れるような熱さ、痛みがあり、手足から邪気がザーッと出ます。最後に貴田先生の手から出る気の力で祓っていただくと、さらに大量に邪気が抜け出ます。治療後にはお腹が空っぽになる感じで、本当にスッキリします」
田中さんの肌の色艶はよく、年齢よりずっと若々しい。わずか数カ月前まで小腸がんで闘病していたとは、想像もできないほど健康そうだ。邪気を実感できるようになってから、体調がぐんぐん良くなったのだという。
創作活動にも一助
いま、田中さんは週1回の貴峰道での治療を続け、毎朝自分でごしんじょう療法を実践するよう心がけている。「ごしんじょう療法をしてから仕事に向かうと、作った曲の切れ味が違うというか、できばえが違う気がする」というのだ。
「長年音楽制作をしていますから、人が歌えるオクターブの中でメロディーを作ろうとすれば、1曲30分あればできます。しかし、突き抜けた曲、本当に納得できる曲というは、こねくり回して作るものじゃなく、ぱっと降りてくる感覚でメロディーが浮かぶものなんです。
ごしんじょう療法をすると、もちろん体が楽になり、全体的に爽快になります。そして、全身の穢れが取れる感じがします。創作活動する人間にとって、自分の身体を空っぽにすることは非常に重要なことで、ごしんじょう療法で邪気をとり、場を清めて制作に挑むというのは、大事なことですよね」
「ぱっと降りてくる」「全身の穢れが取れる」「場を清める」…。田中さんの表現から、長年創作活動を続けてきたアーティストならではの鋭敏な感性が伝わってくる。
「ごしんじょうは、僕にとって手放せないものになりました。生きていくうえで、常にともにある存在です。自分を自分たらしめるものですから」
そう穏やかに言い切った後、清爽な余韻が残った。
がんを克服し、ごしんじょう療法で健康を取り戻したいま、今度は天性の感覚を研ぎ澄ますためにごしんじょうが活かされているようだ。
平成23年9月15日
久保田正子