第29回 舌がん〜リンパ転移で抗がん剤後にごしんじょう開始、「根治」へ〜
「あれ、口内炎かな?」と思っていたら舌がんと分かり、2度の転移で過酷な闘病生活を余儀なくされた30代女性。そもそも口腔がんの全がんに占める割合は約3%で、中で舌がんは口腔がん全体の6割、60代以上の男性に多い。若い女性としては罹患率が極めて低い舌がんを患ったうえ、2度の転移で絶望感に打ちのめされたものの、ごしんじょう療法によって辛い症状がすべて回復。担当医から「根治」という診断も得、ようやく心の安寧を取り戻したという。
口内炎? 舌炎?
神奈川県在住の宮田佳子さん(仮名、39歳)が舌の違和感に気づいたのは平成22年2月、36歳の時だった。舌の右側の上下に2カ所、白く小さなできものができ、チクチクするような痛みを感じた。
最初は「口内炎だろう」と思い、市販薬を飲んだり、口腔内に塗るタイプの薬剤を使ったりしてみたが、一向に良くならない。良くならないばかりか、白いできものは、1カ月経ったごろから、少しずつ硬くなっていったという。
「舌炎かな」
食べることが痛くて辛くなり、パッチタイプの口腔内用の貼り薬を使用してみたが、貼り薬も全く効かない。
舌を鏡で観察していくうち、できものは硬くなり始めたころから、次第に大きくなっていった。
「もしかしたら、がんかもしれない」
ふと、インターネットで舌がんを調べてみた。ネットの情報から、「舌がんに違いない」と確信に近いものを感じ、病院の歯科口腔外科を受診したという。
そうして平成22年4月28日、病理、画像、血液検査の結果、「ステージ2、高分化型の舌がん」と診断された。
「がん告知はある程度は覚悟していたので、この時は、それほどショックを受けませんでした」と宮田さんはいう。宮田さんは派遣の事務職をしていたが、ちょうどその直前に契約が終わり、次の就職先を探そうとしていた矢先だった。仕事の谷間だから、がん治療に専念できる。そういう状況も手伝い、まだまだ闘病への意欲が大きかったのだという。
「抗がん剤+手術」を2回行うも…
「『腫瘍を抗がん剤で小さくしてから手術をしましょう』という担当医の説明で抗がん剤TS−1を服用したのですが、これが想像以上に辛かったんです」
宮田さんが振り返る。
「顔にものすごい発疹ができて、一度服用をやめました。担当医に『副作用が辛くても、続けてください』といわれ、再開しましたが、発疹以外にも、全身の倦怠感、下痢症状が酷くて、24時間、5分おきにトイレに駆け込む毎日が続きました」
やっとの思いで抗がん剤治療を終え、平成22年6月7日、全身麻酔で舌右側の部分切除手術を行った。
ようやく体調が少しずつ回復してきたかと思った平成22年8月26日の検査結果で、宮田さんは愕然とした。右側頚部リンパ節への転移が発覚し、がんはステージ3に悪化したのだ。「ステージ2でも高分化型のがんはほとんどの人が転移しない」という医師の説明を信じていただけに、ショックは大きかった。それに加え、甲状腺にも異常が見つかったのだ。
「首のリンパに1センチ大と3センチ大の2個の転移があり、1個が動脈付近にあるので、除去しないと全身にがんが広がると言われました。右側の甲状腺も深刻で、石灰化が始まっていたんです。組織検査で良性でしたが、転移したリンパがんと1センチしか離れていないので、甲状腺にも転移している可能性があるから取った方がいいと担当医から説明されました。この時初めて、自分の命の問題に直面しました」
甲状腺は取りたくない。他に方法があるのではないか――。
セカンドオピニオンで検査したがんの専門病院では、「甲状腺を取る必要はない」と診断されたが、「当院でリンパの除去手術をすると早くて1カ月先。あなたのがんは進行が早いので、1カ月先だと命の保証ができない」と言われた。
確実に命が助かるためには、手術を急ぐ必要があると判断し、結局、別の病院で平成22年10月8日、リンパの除去手術を受けた。実際に切開してみると画像で見るよりも甲状腺の状態が悪いことが分かり、甲状腺も右側片方を切除したという。
術前に再び抗がん剤TS−1を服用した。前回の服用時の副作用が酷かったことから、今度は少し軽いタイプのTS−1を服用したが、それでも体の不調に苦しんだという。
「抗がん剤と手術のセットはこれで2回行ったから、もう大丈夫…」
ところが平成23年2月1日、宮田さんは絶望の淵に立たされた。右頚部リンパの鎖骨付近に10個以上もの大量の転移が見つかったのだ。
3度目の抗がん剤後、ごしんじょう治療開始
抗がん剤を服用して状態を見ることになり、平成23年2月3日、最初の抗がん剤と同種の最も強いランクのTS−1をスタート。つまりこれで、宮田さんは、がん告知から1年足らずの間にTS−1を3回も服用したことになる。
「3度目は最も辛くて、倦怠感もひどく、次第に食事ができない状態になりました。口の中に物が入っていかないんですね。水気しか摂れないので、すりおろしたリンゴを食べるのですが、リンゴ1個分を2時間かけてやっと食べるような状況でした。皮膚が浅黒くなっていて、脱水症状もひどかったです」
2月12日に抗がん剤治療は終了。副作用で体が悲鳴をあげている中、ある人の紹介で2月16日、初めて貴峰道でごしんじょう療法を受けることになった。母親に付き添われ、自宅から2時間かけて代々木上原駅に着き、そこから通常徒歩5分の距離を20分かけて泣きながら休み休み歩き、やっとの思いでたどり着いた貴峰道だった。初めて受けたごしんじょう療法は痛くてどうしようもなかったという。
「いまでも鮮明に覚えているのは、ごしんじょうを当てられた時のお腹の強烈な痛みです。先生が『軽く触れているだけですよ』と言っているし、横で見ている母が『本当に触っているだけよ』と言っているのに、お腹の奥までごしんじょうがグーッと入ってくる感じがあって、とてつもなく痛かったんです。抗がん剤の副作用で脱水症状が深刻だったので、実はその2日後の2月18日に約10日間入院したのですが、病院で、薬剤性肝機能障害や真菌性腸炎、急性腹症などを含む6つの病名が診断されました。今思えば、ごしんじょうを受けた時、それほどの内臓疾患があったので、邪気の量が多すぎて腹部が強烈に痛かったのだと思います。
でも、初めてのごしんじょう治療はただ痛かっただけではなく、治療後に体が軽くなった実感がありました。貴峰道に来る時に駅から20分かかった道のりが、帰りは15分だったので、母がとても驚いていました」
脱水症状で入院中の2月19日、エコー検査で「リンパ節へのがん転移ははっきりしなくなった」と診断された。宮田さんは、ただ1度受けたごしんじょう療法の治療効果を思いながら、転移がんが消失した事実に、ようやく安堵したという。
「鎧を脱ぎ、背中から羽が生えた感じ」
退院後の平成23年3月から、宮田さんは週に1回のペースで貴峰道に通うようになった。初回治療後に体が軽くなった実感が忘れられず、治療を受ける度に体のうれしい変化を実感するからだった。
当初、最もうれしく感じた治療効果は、「痛みの実感」だったという。
「リンパと甲状腺を切除する時に神経を切っているので、術後、顔の右下半分から胸のあたりまで全く感覚がありませんでした。その部分は肉体がまるで鉄板のような状態で、鎧を着ているような感覚でした。重くて、触られても分からない。温度も感じません。でも、ごしんじょうを当てていただくと、その場で患部が痛み、それと同時に手足や舌の傷口にビリビリとした感覚が生じます。邪気が出ていく感覚がはっきりと分かるんです。普段は触られても感覚がないだけに、ごしんじょうで痛みを感じるのは本当にうれしかったです」
「痛みの実感」は、宮田さんにとって、手術で神経を切ったことで生じた神経麻痺の改善を意味する。
「治療後は、鉄板が取れた、鎧を脱いだような感覚になります。体がすごく軽くなって、背中に羽が生えたような感覚になって帰宅するんです。鉄板で覆われた感覚がその場で全くなくなるなんて、病院での治療はもちろん、他のどんな治療でも得られない効果です。ただ、最初のころは、2時間かけて家に着くと、また治療前の鉄板で覆われた状態に戻るんですけど、それだけに、週に1度の貴峰道での治療が楽しみになりました」
宮田さんは自分でもごしんじょうを求め、自宅でごしんじょうを実践するようになった。すると体調は日に日に良くなった。"鎧を脱いだ"状態も次第に持続するようになり、平成24年6月ごろには、ほぼ完全に"鉄板がとれた"、すなわち麻痺が消失したという。
担当医は術後、「麻痺は完全には戻らないだろう」と説明していた。加えて、「右手が上がることも難しい。かりに右手が上がるまで回復したとしても、腕が耳につくくらいまでは無理です」と言い切ったという。
ところが今、宮田さんは右手を左手同様に可動させることができる。「もっと動くんですよ」と、右腕を後頭部につける動きも見せてくれた。術後は2リットル入りのペットボトルを右手で持てなかったが、今は楽に2リットル入りペットボトルを持てるばかりか、両手を使い2リットル6本入りの箱さえ持てるという。
「ごしんじょう療法をしていなかったら、絶対に麻痺はこれほど改善しなかったと思います。治療していただく度に麻痺がとれ、具体的に手が動く現象によって神経の機能が回復することを実感できたので、ごしんじょう療法の効果としか説明がつきません」と宮田さんは断言する。
SCC測定数値、エコー検査から「根治」
さらに昨年、腫瘍マーカーの数値とエコー検査の結果から、担当医から「根治」と診断され、肝心のがんもいい状態だ。3度目の抗がん剤の後に毎週定期的にごしんじょう療法を続けた結果、現在までの2年間、SCC抗原の数値(基準値0.0〜1.5ng/ml)が基準値以内を維持しているのだという。
「病院では、抗がん剤が効いたと言っていますが、ごしんじょうで麻痺が治ったことを実感している私としては、がんの根治もごしんじょう療法の効果としか思えません。神経の動きが良くなり、筋力が戻り、腕の可動域が戻ったことは、病院での治療では説明できないのですから」と宮田さん。
確かに、宮田さんのがんの場合、「進行が早い」と診断され、TS−1を2度服用しても転移を繰り返していたのだから、「3度目だけTS−1が効いた」という説明には無理があるだろう。
平成25年2月12日、貴峰道で宮田さんが治療を受ける様子を見せてもらった。
宮田さんは頭やあご、首のあたりを治療してもらうと、時おり手首、足首を振るようなしぐさを見せる。治療を受けながら、宮田さんは「手足がビリビリするので、振ることで邪気が出ていくのを助けてあげています」と説明し、「もっとビリビリ感じるのは手術した舌です。舌に邪気があるから頭を治療してもらっていても舌がビリビリします。だから、自分で治療する時も、口を開いて少しでも多くの邪気を出そうとしています。不思議と思われるかもしれないけど、邪気を多く出すことで、体が信じられないほど軽く楽になるんですよ」という。
「ごしんじょうは生きる糧」
「ごしんじょうに出合えてよかった」と口にする宮田さんだが、ごしんじょう療法を知るきっかけについては、実は不思議な話が背景にある。
それは最初の転移を知らされた時、宮田さんの姉から「たまたま大船の駅で見てもらったらよかった」と占い師を紹介され、相談に行った。「こんなに人生が短いなら、早く結婚しておけばよかった」と悩み、家族を心配させまいと、ひとりで毎日泣いていた時だったという。
「自分のがんは完治できるのだろうか」。そのことだけをききたかった。
すると占い師は、「ごしんじょう療法を試してみてはどうですか?」。
なぜ自分にそのような治療法を勧めるのか、訊ねてみると、また不思議な話だったという。
「占いの先生は本来、民間療法を信じるタイプでないそうですが、何年か前に、用事で書店の前を通ったら、豊田正義さんの『奇跡の医療』(幻冬舎刊)だけが光っていたそうなんです。興味がないから通り過ぎたところ、帰りに見ると、まだその本だけが煌々と輝いていたそうです。ならばと思って買って読み、こんなふうに難病に効果を出している治療もあるのかと感心していたら、その3日後くらいに病気の方が相談にみえたので、貴峰道での治療を勧めところ、その後、ごしんじょう療法を受けて良くなったと、非常に感謝されたそうです。それ以来、病気の人にはごしんじょう療法を勧めているということです」
貴峰道によれば、実はその占い師は一度も治療に来ていない。にもかかわらず、何人もの人がその占い師の勧めで治療を受け、みな症状が改善しているという。
摩訶不思議な話である。
「確かにがんの転移を知らされて藁をもすがる思いでしたが、実は私自身はごしんじょう療法についてはほとんど信じていなかったんです」と宮田さんは打ち明ける。治療に積極的な母に連れられて、半信半疑で治療を受けたのだとか。
「信じていなくても、治療効果を実感できたことで、治療を続けた」という宮田さん。宮田さんのごしんじょう療法の出合いをつくった事象は科学的に説明できないものであるが、宮田さんの臨床例から、ごしんじょう療法が決して「信じる者は救われる」レベルの治療でないことは明白だろう。
宮田さんは、ごしんじょうで邪気を取り除く生活を続けることで、今ではヘッドホンの使用後に耳やあごが重く辛くなり、頭痛がするなど、電磁波の害を具体的に実感できるようになった。舌がんになる前は事務職で朝から晩までパソコンの前に座っていたことを振り返り、今は電子機器をできるだけ避け、使用した場合はごしんじょうで邪気を出すことを心掛けているという。
最後に宮田さんは、穏やかな口調でこう話した。
「ごしんじょうは生きる糧。ごしんじょうがあったからがんを克服できましたが、これからは、現代社会を生きるために共にあるものです」
右舌、右リンパに加え、右の甲状腺をも切除する大手術を経験したが、宮田さんの会話と動作に全く違和感はなく、すこぶる健康そうだ。昨年、調剤事務の資格を取り、現在は再就職の準備をしているという。
平成25年3月18日
久保田正子