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ごしんじょう療法を行う治療院、施術所は全国各地にありますが、本療法は習得度によって治療効果に大きな差があります。中には高額の施術料を請求している施術所もありますが、貴峰道とは一切関係ありませんのでご注意ください。地方で施術を受けたい方は、必ず貴峰道にお問い合わせください。

コラム 続・超医療

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第38回 引退年齢を超えて38歳でミドル級2冠の初快挙!
〜ボクシングOPBF東洋太平洋、WBOアジアパシフィックチャンピオン、秋山泰幸選手〜


昨年12月、大阪市で行われたボクシング・ミドル級のOPBF東洋太平洋、WBOアジアパシフィックタイトルマッチ。その結果に、多くのボクシングファンが興奮したに違いない。38歳、ラストチャンスと臨んだ挑戦者、秋山泰幸選手が、2度防衛している24歳のチャンピオンに5ラウンドTKO勝ちし、2冠を達成したのだ。37歳の引退年齢を超えてのベルト獲得は初めて、という快挙の裏に、ごしんじょう療法があった。プロスポーツ選手にとっての、ごしんじょう療法とは――。

右拳の亜脱臼骨折で貴峰道へ

秋山選手が最初にごしんじょう療法を受けたのは4年前。ダウン応酬の激しい戦いを制し、日本ランカー入りを果たした平成25年11月25日の試合で拳を痛めてしまった。
医師の診断は右手の亜脱臼骨折。“武器”である右手は、内出血でドラえもんの手のように倍ほど腫れた。「手術をしなければ、治るまでに1年くらいはかかるだろう」と言われたが、手術成功の確約はない。手術をせず、1カ月過ぎたころになんとか腫れはひいたものの、「握れない、打てない」状態が続いた。
上を目指す秋山選手にとって、ランカー入りして初めての大事な試合が5月27日に控えていた。だが、拳を握ろうとしても、痛みで握り続けることができず、すぐ開いてしまうため、スパーリングなどとてもできない。
「使い物にならない右拳をどうにかしたい」
そう思っていた矢先、「拳の治療のことを含め、紹介したい先生がいる。会ってみればわかる」と、所属していたヨネクラジムの嶋田雄大トレーナーに連れられ、平成26年1月28日、初めて貴峰道に行ったのだ。
すると、治療を受けたその場で、右手を握った状態が維持できるようになった。信じられないレベルの痛みの消失とその即効性に驚き、週2回の治療を継続したという。
「あっという間に右手に力が入るようになり、3月には痛いながらもサンドバッグを打てるようになりました。ものすごいスピードで回復しました。ところが試合の3週間ほど前、9割方良くなっていた拳をスパーリングでもう1回痛めてしまったんです。それまでの経過から、ごしんじょう治療ならなんとかなると確信していましたので、試合をキャンセルせず、毎日貴峰道に通って、集中的に貴田先生の治療を受けました」
はたして結果は――。
「左ストレートで1回、右は打ち下ろしとフックで2回、相手をダウンさせました。拳が完璧ではないので判定までいきましたけど、勝ちました。ごしんじょう療法をしていなかったら、その時の勝ちはなかったと断言できます」
その後、秋山選手は右拳を再び“武器”とし、王座への道を一気にかけ上がっていく……。

嶋田雄大トレーナーが導いたチャンピオンへの道

秋山選手がボクシングを始めたのは25歳。キックボクシングから転向し、名門ヨネクラジムの門をたたいた。恵まれた強い肉体に加え、練習熱心で真面目な性格。パンチの強いミドル級のボクサーとして、遅いデビューながら将来を期待された。 ところが、指導してくれたトレーナーがジムを辞め、ヨネクラでの指導者を失ってしまう。仕方なく、ほかのジムで練習するようになり、約10カ月間、ヨネクラジムから足が遠のいていた。
「ヨネクラで教わる人がいなかったので、移籍するしかないと思っていました。というのも、自分には技術的に足りないものがいくつかあると気づいていたからです。例えば、パンチの力の入れ方、そして力の抜き方。それが分からなかった。それを教わりたかったんです」と秋山選手は振り返る。
そんな時、ヨネクラジムの50周年を祝うパーティーが盛大に開かれた。ガッツ石松、柴田国明、大橋秀行などの世界王者5人、東洋太平洋王者8人、日本王者31人を生み出した名門ジムの50周年に集まった歴代の最強ボクサーたちを目にした時、秋山選手の胸に、「やっぱりヨネクラがいい。自分で選んだ道だから、このジムでボクシングを終わりたい」という思いがこみ上げてきたという。
再びヨネクラジムでの練習に戻った日、現役を引退したばかりの嶋田雄大元日本チャンピオンが近づいてきた。なんだろう…そう思っていると、「俺、秋山のトレーナーやることになったから」。
「やった! 嶋田さんが来たよ!って、すごくうれしかったです」と秋山選手。技巧派でハードパンチャーのプロボクサーとして知られた嶋田トレーナーは、日本ライト級タイトルマッチで5度防衛した元日本チャンピオン。武道館で史上最強と言われたエドウィン・バレロと戦うなど、41歳まで世界レベルで活躍した、秋山選手の憧れの存在だ。嶋田トレーナーと組んだ秋山選手は一気に強くなり、東洋太平洋王者への快進撃が始まったのだ。

滝に打たれてボクシング道に精進

「嶋田さんに教えてもらったことは、技術的なことも精神性も、僕にとってすべてプラスになっています。中でも一番力になっているのはごしんじょうです。ごしんじょうがなかったら、僕はいま現役でボクサーをやってないです。間違いありません」
ごしんじょう療法がほかの治療と決定的に違うのは、「痛みがその場で取れる実感が伴うこと」と秋山選手は強調する。「これまで邪気というものが全く分かりませんでしたが、ごしんじょう治療を受けると、手からビリビリ出ていくものとして邪気が実感できます。痛めたところを治療すると、ビリビリ感が激しく、治っていくとそれが少なくなることでも治療効果を実感できます。貴田先生が右手から患部に気を発すると、僕の手から邪気が出るのも分かります。自分でごしんじょうをやってもビリビリを感じ、痛みが楽になります」
もちろん、ボクサーの強さは日々のトレーニングで作られる。秋山選手も自分をとことん追い込んだトレーニングで強くなった。秋山選手は「トレーニングこそが大事」としたうえで、ごしんじょう療法の効果を次のように説明する。
「ごしんじょう療法の治療効果は絶大で、ケガに即効性があり、体の動きが良くなるし、気迫、集中力も高まる。減量もスムーズにいくし、体の回復力が高まる。例えば、スパーリングで軽い脳震とうを起こすことがありますが、そのあと自分で頭をごしんじょうで治療すればすぐに回復します。ダメージが全く残らないんです」
秋山選手が効果として挙げた「脳震とうの回復力」。確かに、ごしんじょう療法による脳障害の著効例は多い。高次脳機能障害やパニック障害、うつ病などに大きな効果をあらわしている。
「だから、日々のトレーニングを続け、トレーニング効果を高めるために、僕にはごしんじょう療法が絶対に必要です。毎日ごしんじょうを自分で2時間はします。でも僕は、ごしんじょうを単純に『ケガを治すすごい治療』とは思っていません。ごしんじょう療法が精神性を高めてくれる。精神性が高まり、意識が高くなると、勝負に向かう気持ちも高まる。そういうふうに連動しています。意識が高くなることは、生活すべてに影響します。そのことが、僕にとって最も重要で、一番意味のあることなんです」


秋山選手は貴峰道に来た翌年の平成27年と29年の2度、自然崇拝の山岳信仰、大峰山修験道の正大先達の資格を持つ貴田晞照師の先達で奈良県吉野の大峰山を登拝している。大峰山は日本で唯一女人禁制の行場で、修験道の聖地だ。
「僕はボクシングを単なるスポーツとは思っていません。僕の根底には神道があって、精神を鍛え、自分を成長させたい。3歳から父の教えで柔道をやったのが僕の武道の原点で、高校1年から極真空手をやり、その後キックボクシングをやりました。いまボクシングをやっていますが、それはボクシング道と捉えています。練習して強くなって精神を鍛えたい。僕はそれしか考えてないです。貴田先生の修験道の行とそれによって生み出されたごしんじょう療法が、僕のボクシング道に活きていると思っています。だから毎日、感謝の気持ちを込めてごしんじょう治療しています」
平成29年6月5日、大峰山を登拝する際、秋山選手は修験道の根本道場、龍泉寺の「龍王の瀧」に打たれた。
「俺は絶対にチャンピオンになる! 俺は絶対にチャンピオンになる!」
滝に打たれながら発する強い一願。その気迫は凄まじいものだった。
それは、貴田師が滝に打たれ、「万人の病平癒、万病平癒」と一心に気迫を込めて祈る姿から学んだものだ。

恩師「最年長世界ランカー」もごしんじょうが支えた
昨年、名門ヨネクラボクシングジムが閉鎖した。それに伴い、秋山選手は昨年6月、ワタナベジムに移籍。嶋田トレーナーと相談して決め、秋山選手自らワタナベジムの門をたたいたという。移籍後、最初の試合が冒頭で記したOPBF東洋太平洋、WBOアジアパシフィックタイトルマッチだ。秋山選手が38歳で東洋太平洋王者なった背景には、いきなりタイトルマッチを実現させるという力量あるワタナベジムを選んだのも奏功したといえる。
秋山選手に高い技術と精神性、ごしんじょう療法を伝えた嶋田トレーナーは「秋山は天性のフィジカルがあるうえ、地道に静かに黙々と頑張る選手。真面目に取り組む姿をいつも見てましたから、チャンピオンになってすごくうれしいです。紹介したごしんじょう療法を実践し、貴田先生と滝に打たれて、大峰山に登拝しているのをいい流れだなあと思って見てました。タイトルマッチは試合会場に出向いて応援しましたが、劇的な勝利に、天の力が働いたような気がしました」と語る。
嶋田トレーナー自身、日本最年長の世界ランカーとして多くのファンに応援された名ボクサーだった。
日本のボクシングには「37歳定年制」があり、通常は37歳になると自動的にライセンスが失効する。特例として王者やランカーは現役を続けることができるが、41歳まで世界レベルで戦い続けた嶋田トレーナーのボクサーとしての活躍は、驚異的と言えるだろう。その肉体と精神を支えたのも、ごしんじょう療法だ。
そのため平成25年4月に後楽園ホールで開かれた嶋田トレーナーの引退セレモニーでは、貴田師は依頼され、後援者代表としてリングに上がった。「世界チャンピオンを目指して『一願不動』の明かき精神で戦い続け、感動と勇気を与えてくれてありがとうございました」と祝辞を述べた。

その後、リング上で挨拶したヨネクラジムの米倉健司会長は「私は嶋田を尊敬しています」と教え子を前代未聞の言葉で称えた。「プロボクサー嶋田雄大」のボクシングに取り組む姿勢と精神性の高さをストレートに敬し、多くの観客の胸を熱くした。
その嶋田トレーナーの現役時代をいかにごしんじょう療法が支えたかについては、当コラム8回目をご覧いただきたい。当コラムに書かれている通り、嶋田トレーナーのごしんじょう療法に対する信頼は篤い。理化学研究所脳科学総合研究センターグループディレクターだった松本元・理学博士の「ごしんじょう療法を研究すれば、科学のパラダイムが変わる。本療法が開発されたことは、日本人として極めて誇りであり、本療法の科学的解明によってこの手法をさらに高め、世界人類の福祉に役立てるようにすることが、我が国の全人類に対する責務であろう」の言葉に対しても、「全くその通りだと思います。そうなることを願っています」と賛同する。
嶋田トレーナーは現在、新潟県十日町市で大翔(やまと)ジムの最高指導者として、未来の世界チャンピオンを新潟から輩出することを目指している。

究極のアンチエイジング 「今よりもっと強くなる!」

2020年、東京オリンピックが開催される。スポーツ選手の活躍に期待する機運は、ますます高まるだろう。
秋山選手も「ごしんじょう療法は、ケガの治療と予防になり、体のキレ、集中力、スタミナ、身体機能を高めるから、スポーツ選手の記録も伸びる。ボクシングだけでなく、あらゆるスポーツ選手の助けになる」という。
現実にごしんじょう療法を実践する人の中には世界で活躍するスポーツ選手も少なくない。例えば、柔道の国際大会で何度も優勝し、「東京オリンピックを目指している」というある女子選手。
「今までいろんな治療を受けてきましたが、ごしんじょうは別次元の奇跡の治療です。手術を勧められた膝のケガもコーチが驚くほど早く回復し、手術をせずに練習を再開できました。右手首と指を痛めて握力が14.1sしか出せなかった時も、一度の治療でその場で痛みが消え、48.1s出せました」。翌日、この選手は海外遠征へ向かい、国際大会で優勝している。
貴田師は「病の本質である邪気を取り除き、生命エネルギーの場が正しくなれば、痛みは即時的に消え、炎症は速やかに鎮まります。気迫、集中力も高まり、脳と体の細胞が活性化され、力を最大に発揮できるようになります。邪気を生じさせる大きな原因に電磁波があり、邪気が生じた体で激しい運動をすると炎症が生じ、痛みが出ます」と説明する。
「細胞の活性化」――すなわちごしんじょう療法は究極のアンチエイジングといえるだろう。そのことは、日本最年長ボクサーとして活躍した嶋田元日本チャンピオンと38歳で東洋太平洋王者となった秋山選手の存在が証明している。

「ボクサーとして大事なことは嶋田さんから教わった」という秋山選手。現在38歳。37歳の引退年齢を超えて、東洋太平洋王者として戦い続ける。
「年齢を考えると限られた時間しかありませんが、まだまだ僕は強くなります。目標は、今よりもっと強くなること。まずは次の東洋太平洋の防衛戦で、何が何でも勝ちます。死んでも勝ちます!」
「死んでも勝つ」は、嶋田トレーナーが現役時代に使った言葉だ。目標に向かってひたすら真っ直ぐ不動心で戦い続ける「一願不動」の精神が根底にある。

 

平成30年3月31日
久保田正子