「最近、新しいタイプの"言葉遅れ"の子供が、小児科医療の現場で数多く見られるようになっています。
運動機能や基本的な生活習慣など各種の能力は年齢相応に発達しているのに、(意味のある)言葉がほとんど喋れない子供たちです。
その子たちの育った環境を調べてみると、みな生まれて早々から"テレビ漬け""ビデオ漬け"なんです。1歳前から1日に何時間もテレビにハマって過ごしており、母親など生身の人間と情緒的な関わりが非常に乏しい。
私は、この数年間で、こういう症状の乳幼児を50人以上診察しています」
こう警鐘を鳴らすのは、川崎医科大学小児科(倉敷市)の片岡直樹教授だ。
「ところが興味深いことに、こういう親子に、テレビ・ビデオの視聴を禁止し、1対1で直接遊ぶように指導、それを実行しつづけてもらうと、子供は変わります。言葉が増えてきて、集団の中で生活する社会性が出てくるのです。
しかし、それでも、3歳を超えてから始めたのでは、回復・改善が難しい傾向があるんです」
3歳前に"言葉遅れ"の本当の原因に気づいて、できるだけ早く生活を改善しないと治りづらいというのだ。
ここでいくつか、実際の症例を見てみよう。
症例1・A君(5歳半)
1歳半健診で自閉症の疑いがあるといわれる。2歳4ヶ月時点で、意味のなる言葉をまったく喋らず、多動(注意欠陥多動障害)もあって、来院。生後8ヶ月からテレビを毎日観ており、『ウルトラマン』のビデオが好きで、初診時、テレビ・ビデオの視聴は1日7時間。その視聴を禁止し、遊戯療法(遊びを通じて子供と1対1で直接向き合う)を実施したところ、3歳で10個の単語が出現。4歳で普通の保育園に通いだし、友達とも遊べるようになった。
症例2・B君(4歳)
2歳前後の時期、言葉が出ない、集団の中で友達と遊べない、多動、(周囲の人と)目と目を合わせないなどの異常が目立つ。2歳9ヶ月のとき自閉症を疑われて来院。父親はインターネットを通じて、我が子の症状が自閉症に似ていると認識していた。
診察の結果、運動能力などは利相応に育っているが、言葉や社会性の発達度は10〜11ヶ月という結果が出る。1歳のころからテレビ・ビデオを1日8時間観ており、遊びはほとんど一人遊び。
テレビ・ビデオの視聴を、ただちに中止する。働いていた母親もすぐ仕事を辞め、遊戯療法を週1回のペースで実施。その結果、意味のある言葉を少しずつ発するようになり、家族と"ごっこ遊び"もするようになった。現在、普通の保育園に通園中。
これらは、片岡医師がこの数年のあいだに取り組んできたケースの、ごく一部だ。
1歳を超えても、年齢相応のお喋りを始めない我が子を目の前にして、親は最初のうち「成長には個人差があるから」と考える。やがて、「もしかしたら、脳に回復不能の障害があるのでは…」と、不安が拡大していく。実際、意味のある言葉も喋れず、周囲に無関心な行動を取る幼児が、自閉症、多動などの名の下に知的障害と片付けられる恐れは少なくない。
現在、小学2年生のC子ちゃんの母親・香川優子さん(仮名)は次のように言う。
「2歳になっても、マンマとかブーブーなど単語を5個ぐらいしか喋りませんでした。心配になって病院に行こうと決めたのですが、知的障害の可能性を考えたので、地元の病院には行けませんでした。
このプライバシーの問題と、設備や専門スタッフの揃っているところにと考え、電話でいくつかの病院に問い合わせた結果、川崎医科大学にたどりついたのです」
そのC子ちゃん、やはりビデオが大好きだった。
「オモチャなど物を使って遊ぶことは、あまりしない子でした。1歳のころから、ビデオを1日に4時間は観ていましたね。市販のビデオです。『ディズニー』ものが好きで、1本1〜2時間のものを、繰り返し観ていました。
そのあいだは、おとなしくしているので、私もつい、ビデオに子守りをさせていたんです。家事や用事を済ますあいだの時間繋ぎという軽い気持ちだったのですが、それがとても重大な影響を与えていたなんて、片岡先生の診察を受けて、初めて知ったことでした」
と母親の優子さん。初診時、「お母さんの心配されているようなこと(知的障害)はないと思います」と言われて、ホッとしたという。
片岡医師は、C子ちゃんを木製玩具やぬいぐるみ、絵本などが置いてある診察室で遊ばせて観察。その様子から、言葉は出ないが、大人の言う言葉への理解能力や運動能力などはあると判断できた。その後、聴力検査や脳波検査も実施したが、異常はなかった。
「テレビ・ビデオを観せることをやめて、なるべく子供と直接関わるようにと指導されました。4歳ごろまで、病院のリハビリセンターに通い、療法士の先生とマンツーマンで遊ぶ遊戯療法を続けました。そばに付き添っている私としては、母親として子供とどう接するべきか、私自身が学ぶ場でもありましたね」
と、振り返える優子さん。日常生活のなかでも、子供に積極的に話しかけるように心がけたという。
「たとえば、子供が冷蔵庫の上の方をトントンと叩けばアイスクリームが欲しいんだと分かります。下ならジュース。入っているあたりを叩くんです。それに対して、以前は『はいはい』という感じで流れ作業的に先回りして、欲しいものを出してあげていました。
でも、治療を始めてからは『ああ、アイスなのね』と、ちゃんと子供と向き合って、私のほうから必ず話しかけるようにしました。たとえ答えは返ってこなくてもです」
そのC子ちゃんの口からは次第に、意味のある言葉が出てくるようになる。さらに、以前は無言で母親の手を引っ張っていたような場面で、「ママ、見て」「こっち、来て」など、2つの単語を並べて文章化した言葉を喋れるようにもなり、やがて"言葉遅れ"はすっかり解消した。小学2年生になった現在では、普通学級で何不自由なく過ごしている。
2歳で1日6時間のビデオ中毒!?
D君は、いま2歳半。やはり"テレビ漬け"をやめてから、言葉がどんどん増えている。母親の浅田京子さん(仮名)の話を紹介しよう。
「2歳を過ぎても『アア』とか『ウウ』以上の言葉が出ず、喜怒哀楽もあまりありませんでした。私が、『D君、ゴミぽいして来てね』と言うと、そのとおりにするのですが、無言パ〜ッと行って、無言で帰ってくる。『ピカチュー、どれ?』と聞くと、ちゃんと指さすのですが、町中でピカチューの絵を見つけても、普通の子がするように、自分から『ピカチュー』と声を出して喜ぶようなこともない。
何かヘンだなと感じ始めていた時期に、私の両親がたまたまテレビで片岡先生のことを知り、『うちの孫が先生の話されたケースとよく似ているのですが…』と、電話で相談してくれたんです。2歳2ヶ月、この夏のことです」
D君の場合は、なんと2歳前から自分でビデオをセットして観ていたという。
「親や3歳上のお兄ちゃんが操作するのを見て、目で覚えたのでしょう。私は「こんな小さくても、自分でできるんだ」ぐらいに呑気に考えていました。『ポケモン』などテレビ番組を録画しておいたものを、1日5〜6時間は観ていましたね。それがごく当たり前になっていました。
上の子は片手間に観ているのですが、下の子は入り込んでいました。ほとんど動かずに、声も発しないで熱心に観ているんです」(京子さん)
D君の家では、片岡医師の指導を受けた翌日から、ビデオはいっさいやめた。
「夫と相談して決めました。5歳のお兄ちゃんも、理由をよく話したら分かってくれました。『D君が寝ているときだけ観てもいいけど、起きてきたらすぐ切ってね』という約束も守ってくれています。私も、話しかける機会を増やしています。まだ5ヶ月程度ですが、子供は、ものすごく変わりましたよ」
と、京子さんは声を弾ませる。町で車を見かければ「バス」とか「トラック」とか声に出してアピールするようになり、以前は全然なかった「パパ、ママ」という呼びかけもするようになった。歌も歌うようになったという。
「私が『♪大きな栗の木の下で〜』と歌ってみせると、最初のうちは私の口をじっと見ていたのですが、何日か続けたら、歌うようになったんです。まだ幼児語で『おおいなうりの』という感じですが。
早く気づいてよかったなあと、しみじみ思いますね」
C子ちゃんもD君も、3歳になる前に環境の是正に取り組み始めたので、症状は著しく改善したのだ。テレビと言葉の関係について、片岡医師は次のように指摘する。
「テレビやビデオは一方通行の刺激です。親との相互作用(直接対話)で言葉を獲得していくべき時期に、一方通行の世界にハマってしまうと、言葉が育たないのです」
同医師は、乳幼児が言葉を獲得するには、次のような段階を踏む必要があるという。
まず、生後最初の1年間。これは、音を聞き分ける「聴く準備」の時期。次の生後1年〜1年半は「話す準備」の期間。これらの時期に、親の発する音声を聞いたり、口の動きを観察したり、親の音声をマネたり、目的に合わせて音声を自発的に発することを覚えたりしていく。
「子供の脳はいろいろな刺激や情報を受け入れて、でき上がっていきます。言葉を覚えるには、それを行う時期というものがあり、その時期に適切な刺激を入れないと、あとからは取り戻せない。
その大切な時期に、テレビ・ビデオのような一方通行の刺激だけの世界に浸ってしまうのが問題なのです」
片岡医師が出会ってきた"言葉遅れ"の子供たちの症状は、軽度なものから重いものまで、さまざまだという。
1,言葉を喋る(発語)という点だけが遅れていて、2,大人の言うことが分かる(言語理解)、3,社会性がある(対人関係)という点では、正常な『単純性言語遅滞』。1と2が遅れている『受容言語遅滞』。3点とも遅れている『自閉性言語遅滞』。
「数のうえでは、言葉を喋るという点だけが遅れている『単純性言語遅滞』が大きな比率を占めているのですが、その子たちも、早い時期に原因に気づいて、その世界からうまく引き出してやらないと、よくなりそうな経過をたどりながらも、多動の症状が残ったりして、保育園や幼稚園で友達とうまく遊べず、突然カンシャクを起こすような問題児となるケースも少なくありません」(片岡医師)
学級崩壊、幼稚園崩壊の低学年化の裏には、"テレビ漬け"が絡んでいる可能性もありそうだ。
1番組を観たら必ず消すクセを!
日立家庭教育研究所の土谷みち子研究員は、'99年の日本小児保健学会で次のような調査報告を発表している。幼児教室に通う3歳児160人を対象に、「乳幼児期のテレビ・ビデオ視聴時間」と「子どもの行動」との関係について調べたものだ。
その調査によると、一日当たりの視聴時間が4時間以上なのは27パーセント。そのうち、とくに乳児期から長時間1人で繰り返し観ていた子供10人を行動観察したところ、次の特徴が共通していたという。
1,遊びがかぎられている、2,友達関係が持てない、3,表情が乏しい、4,気持ちが通わない、5,積み木などを何かに見立てる遊びができない、6,自分から話しかけようとしない、7,ほかの子が近寄ると逃げる、8,ほかの子と視線が合わない、9,ごっこ遊びができない。「いまから30数年前、私が小児科医になった当時は、自閉症の外来数は、大学病院でも年間1人いるかいないか程度でした。比率は5千人に1人。しかし、現在、自閉症と診断される子供は、200〜300人に1人と急増しています。多動と診断されるのは、いまや20人に1人という多さ。環境ホルモンなどの影響を挙げる人もいますが、はたして本当の原因は何だろう。そう疑問を持ったのが、私の出発点なんです」
と片岡医師。もし"言葉遅れ"や自閉的行動の本当の原因が"テレビ漬け"にあったとしたら、治療法は知的障害などの場合とはまったく異なってくる。なにより、まずテレビを消すべきなのだ。
「私は、テレビ・ビデオをなくせと主張しているわけではありません。一方通行のメディア相手に、ハマってしまう子供がいることが問題だと言っているのです。周囲とコミュニケーションを取らない、一人の世界に入ってしまうのが危険なんです」
ここで、片岡医師が挙げる3箇条を掲げておこう。1,テレビ・ビデオをつけっぱなしにせず、1番組を観たら必ず消すクセをつける。2,番組をビデオに録画しておいて、1日に何度も繰り返し観るようなことはしない。3,視聴時間の3〜5倍の時間を、外遊びやほかの人と1対1で行う"かかわり遊び"に費やす。
全国には、テレビ漬けという原因に気づかないまま、きょうも子供の"言葉遅れ"に悩んでいる親がたくさんいる。
あなたの子供は大丈夫?
(『週刊宝石』 2000.12.28発行)